SMILE make SMILES

ダイバーシティとユニバーサルデザインに興味あります。

組体操論 〜是非論を越えて〜

9月最後の土曜日は保育園(次男と三男)の、10月最初の日曜日は小学校(長男と長女)の運動会でした。

保育園では年長組の次男が、小学校では5年生の長男がそれぞれ組体操に取り組みました。

昨年の今頃、組体操が論争になりました。
それは残念ながら、そして予想通り是か非かを問う方向に進んで行ってしまいました。

組体操が問題視されたような論調でしたが、詳細に見ると、「組体操で観客に感動してもらうためには、危険度が上がるのはやむを得ないことなのか?」が問われるべきでした。

自分が中2の時の中3は、ピラミッドの土台が四つ這いではなく騎馬戦の騎馬のようになり、その上に4段くらいピラミッドを組み、頂上を乗せないまま前進、最後にしたから頂上の生徒を投げ飛ばすという大技を披露していました。

今思い返すと、ましてや指導する立場を考えたら、それほどの大技を「やらせる」ことは勇気がいただろうと思います。
ただ、先生が生徒を信じて取り組んでいたことは、翌年五段塔に挑んだ自分たちに対する指導からも感じることができました。

翻って、今回の我が子の組体操。

かたや保育園、かたや小学校ですから、それほどの大技はありません。
それでも、見劣りするとか、物足りないなどと感じることはありませんでした。

改めて、組体操は一つひとつの技と、それらを繋ぐ全体の構成が相まって初めて成立するものだということを実感しました。

指導する側も、見守る側も、組体操が「派手だけど危険度の高い大技に頼る」ショーではなく、「全体の流れの中で持てる技量を出して技を鍛える」表現活動であることをきちんと認識していかなくてはいけませんね。

組体操は、これからも運動会の華(になる競技の一つ)であり続けていくでしょう。

いじめは深層から解決すべし

個人的ないじめられっ子体験と、私をいじめていたいじめっ子の分析を過去に書いた。

http://smilemakesmiles.hatenablog.com/entry/2016/01/07/182910

そして最近、こんな本を読んだ。

指導として反省させる=被害者に謝罪させることの無意味さと危険性を説いた内容だ。

犯罪を犯した受刑者がまずすることは、被害者への贖罪ではなく、自己に対する洞察なのだ。

なぜ自分がその犯罪を犯すに至ったのか。直前の心理ではなく、生育歴全体からの育ちや家庭での歪みを明らかにしていく。

そうして初めて、自分の犯した罪の意味を理解し、本当の贖罪が始められる。

いじめも同じ。

いじめられっ子は悪くない。少なくとも、いじめに至る直接の原因ではない。
いじめっ子は、他者を傷付ける行為を通して、自身のどんな歪みを訴えようとしているのか。

いじめは悪と断罪するのは簡単だけど、断罪が産むのはいじめっ子の絶望しかない。

行為を許すことはできないが、その行為に隠れた本当の意味(心の叫び)に気付くことが、本当の解決につながる。

そう、信じています。

障害者と向き合う

今年も24時間テレビの季節がやってきました。

毎年、障害のある人が様々な(時に必要以上の)チャレンジをする様子で感動を呼ぼうとする、あの24時間テレビです。

何なんでしょうね。あの制作態度は。
毎年一定数の批判を受けているにもかかわらず、「頑張ってる障害者が感動をもたらす」という構図を保ち続ける態度。
否、「一般の人が感動するように障害者を頑張らせる」か。

夢や目標を持ち、あるいは熱意を持って何かに情熱を傾ける人の努力を否定するつもりはさらさらありません。
いや、それを否定できないからこそ、「ハンデのある人が頑張らされる企画」に嫌悪感を抱くのかもしれません。

障害のない人でも頑張ってる人がいるように、当たり前の日常を当たり前に送る障害者だっています。

ほんのひと時の「頑張ってる障害者」をテレビで観たからと言って、障害者や障害という概念に対する理解が深まるとは思えません。

障害云々を超えて、人対人の付き合いを重ねてこそ、初めて深い理解につながると言えるのではないでしょうか。

誰もが「あるがままで、あたりまえに」過ごせる社会を目指して。

村上春樹に触れるなら

世界に「ハルキスト」と呼ばれる熱狂的なファンを持ち、毎年ノーベル文学賞の受賞を期待される作家・村上春樹

私は、ハルキストとまでは言えないけど、村上春樹の世界に浸ることができるくらいには好きだ。

村上春樹の文章の特徴は、なんといっても比喩だ。
他の作家では成し得ない独特な比喩。
どんな?と聞かれても、村上春樹的比喩としか答えようのない世界観。

その世界観にハマるか、挫折するか。
ハマればハルキストだが、はっきり言って読者を選ぶ作家とも言える。

それでも一冊くらい村上春樹を読んでおきたいと思うならこれ、という作品を。

代表作ならこれ

日本のセックスをカジュアルにしたと言われるほど、セックスが物語の随所に描かれる。それでいて、ただエロいのではない。
人生を煩悶しながらも生きていく青年の苦悩が描かれた名作。


読みやすさならこれ


ノルウェイの森」とは対照的な作風ながら、逃げていた過去に対峙する青年の苦悩が優しく描かれた作品。長さもお手頃。



とっつきやすさならこれ


ただし、この世界観はかなり独特。これが好きならハルキストいけるかも?


デビュー作の「風の歌を聴け」は、その後「羊をめぐる冒険」までシリーズ的に続いていくので、村上春樹にハマる覚悟がある人向け。

間違っても、村上春樹初心者は、「ねじまき鳥クロニクル」や「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」や「1Q84」を手にとってはいけない。これは中毒者向け。

まだ凸でタクシーしてくの?

2013年、アメリカ・ニューヨークのタクシー「イエローキャブ」が、次世代標準機種として日産の商用バン「NV200」を採用したことがニュースになりました。
自国産業を守るイメージでかつ自動車メーカーに事欠かないアメリカが、日本の商用バンを次期タクシーに採用したことは、「日本の自動車工業を本場が認めた」というような形で取り上げられました。
しかし、このニュースのキモは日本車の技術力やらではないのです。

日本でも、この採用に合わせてNV200タクシーが2015年に誕生していますが、まだまだ少数派ですし、拡がる気配というものを感じません。

タクシーは、長らくセダンタイプが中心、というより、セダンタイプの(もっと言えばトヨタクラウンの)独壇場だったと言っても過言ではないくらいです。
これは、ただ「乗用車=セダン」という過去の時代の名残でしかないでしょう。それが、むしろ少数派なったセダンをタクシーに採用し続ける理由だとしたら何とも情け無い限りです。

NV200採用のキモは、日本車の技術力ではなく、バンタイプの汎用性にあるのです。

観光立国を目指すなら、旅行者の多い&大きい荷物を収容できるだけのラゲージスペースが必要です。
高齢化社会に対応していくなら、乗り降りのしやすさは欠かせない要素です。
子育てに優しい社会を目指すなら、乗り降りのしやすさに加えてベビーカーを収容する容量は必須です。
ダイバーシティを実現するには、下肢に障害のある人にも使いやすい車種である必要があります。

タクシーの本場・ニューヨークで日本車が採用されたぜ、やった〜ではあまりに幼稚な反応です。
なぜバンタイプがタクシーに採用されたのかという根本を考えれば、おのずとセダンタイプは淘汰されていくはずです。

2020年のオリンピック・パラリンピックを迎える頃には、バンタイプがタクシーの主流になっていることを切に願います。


タクシーが出てくるオススメの絵本です。
※本文とは関係ありません笑


Meet the Other ! について

今年12月4日(障害者週間の日曜日)に開催をぶち上げたMeet the Other ! 。

 

しかし、2年続けての異動は思った以上に心身の負担が大きく、体調が整わない日々。

元々具体化が課題だったにもかかわらず、具体化を進めるだけの余裕が自分の中に持てずにいます。

あと3カ月ではできることはおろか、広報だって限られてしまう。

 

なので、苦渋の決断をします。

 

今年は、Meet the Other ! を断念します。

 

協力をお願いした方々には情けない決断ですが、今の自分では致し方なく。

 

改めて…

2017年12月3日(障害者週間の日曜日)

Meet the Other ! 開催!

 

練り上げます!

 

諦めたんじゃないんだから!涙

Meet the Other!はどうするか

うつでキツいなぁ〜ってことを先日愚痴った(笑)ところ、Facebookではたくさんの方からコメントをいただきました。

なんとなくわかっていたけど、やっぱりちょっと無理しているんだなってわかって、コメントを下さった方々には感謝です。

 

さて、そんな無理ゲーの一つ、Meet the Other!プランですが、これもいろいろ難しいなぁ〜と思ってきました。

 

具体性がない

まだ場所も抑えていない

時間がない

 

当初ぶち上げたつもりの一大イベント的には開催できないだろうな。

かと言って、何にもないにするのも癪です。

 

上映会とか、トークイベントとか、インクルージョンダイバーシティをテーマにやるのなら、今からでもなんとかなるかな?

 

よし、無理ない範囲で頭絞るか。