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SMILE make SMILES

「笑顔は笑顔をつくる」をコンセプトに、誰もが「あるがままであたりまえに」過ごせる社会を目指す【田﨑】のblog。

いじめられっ子だったけど

私は小学校の6年間をいじめられっ子として過ごした。

今、社会問題になっているようないじめられっ子とは違い、友達もいたし、少なくとも孤立はしていなかった。いじめっ子と遊んでいた記憶さえある。客観的には平和ないじめだ。
とは言え、毎日暴力を振るわれて、3年生からは別のいじめっ子から精神的な打撃も与えられ、学校生活が辛くなかったと言えばウソになる。
突発的にいじめっ子(精神的打撃の方)の跳び縄をひったくって自らの首を絞めたことさえあった(あの時止めてくれた友人に感謝)。

そういう意味では、少なくともいじめられた経験のない人よりは、いじめれっ子の気持ちはわかる。

でも、自分をいじめていたいじめっ子のことを今振り返ると、ただただ恨むという気持ちにはなれない。

私に暴力を振るっていたA君には、年子の兄がいた。
A君の兄はわりと評判が良く、成績もスポーツもまずまずよかったように聞いている。
一方、A君はそれほど成績は芳しくなかった。運動は得意だったけど、もしかしたらご両親に兄と比べられるようなことがあったんじゃないかと邪推してしまう。
だとすれば、それは相当なコンプレックスになる。鬱憤もたまる。
そこに、図体は一丁前なのに気が弱く、成績はそこそこいいけど運動音痴という私のような標的がいたら。

ネチネチと言葉や態度でいじめてくるB君は、幼少期に事故に遭い、一命は取り留めたものの、内臓系の障害が残ってしまった。外見ではわからないし、行動が抑制されるような障害ではなかったけど、とあることが本人にも周囲にもその障害を明示してしまっていた。
そして、B君には年子の弟がいた。兄思いの優等生で、同級生の女子にもモテるタイプだった。
B君も、そんな経緯から相当なコンプレックスを抱えていたことは想像に難くない。鬱憤もたまる。
そこに、毎日いじめられている木偶の坊な私がいたら。

どんな事情があっても、特定の個人を一方的にいじめることは許されない。
でも、自分をいじめていた二人のコンプレックスを思うと、いじめっ子=根っからの悪人とは思えないのも事実。
だから、私はいじめっ子の心の闇に寄り添うことこそがいじめの解決の本当の糸口であり、それができる場こそが学校とその周りの地域だと考えている。
いじめられっ子を守ることばかりではいじめを解決できないと心に刻んで、今の仕事も居場所作りも進めていきたい。

余談だが、もうA君にもB君にも、今の思いを伝えることはできない。