評価の観点
二学期末、個別指導のまとめを確認する中で、ベテランの指導員がおっしゃっていたことが心に残った。
それは、行為の評価とその子そのものに対する評価は分けて考えるべき、という指摘。
「〜ができたからいい子」
「〜できなかったからダメな子」
「〜してしまったから悪い子」
としてはいけない。
できた/できない/してしまったことはそのことだけを評価して、その子そのものはしっかり受け止めてあげる。
言い換えれば、行為と人格は別ということ。
応用行動分析の考え方では、行動の原因を測れない心情や性格、感情では捉えません。行動の原因は、常に第三者に検証可能な現象にあると考えるわけです。
「〜ができたからいい子」
「〜できなかったからダメな子」
「〜してしまったから悪い子」
という評価は、ともすると、
「いい子だから〜できた」
「ダメな子だから〜できなかった」
「悪い子だから〜してしまった」
という誤った分析を産みかねません。
行為は行為として捉えて評価する姿勢が、教育職に就く者はもちろん、子どもと関わる全ての大人がもたなければいけないものなのだと思います。
「菊池先生の「ほめ言葉シャワー」の奇跡」を読んで、改めてそのことを痛感しました。
教師は20年後になくなる職業と言われています。学習支援はITで充分という観点からです。今、世の中にはびこる学力偏重の教育ではそう言われても仕方ありません。
しかし、本来教育が目指すべき「豊かな心の醸成」は、ITだけでは達成できません。ITは効率よく学力を伸ばすことはできても、子どもそのものを信じて受け止めることはできないからです。
そこには、生身の人間同士の関わりが欠かせないし、その点が教師の仕事としてもっとクローズアップされなければならないと思います。
自戒も込めて。