ギフテッド ≠ 障害児
ギフテッドと言われる人たちがいる。
「天才児」とされるのは正確さに欠けていて、「天賦の才」がしっくりくるか。
特定の才能が、早期教育や英才教育といった後天的な蓄積ではなく、先天的に身に付いている人を指す。
ギフテッド教育も、子どもをギフテッドに育てる(そもそも不可能)教育ではなく、ギフテッドが持っているギフトを潰さずに活かすための教育である。
ギフテッドは、特定の才能があるが故に通常の教育では「吹きこぼし」になってしまう。その対応をするのがギフテッド教育なのだ。
しかし、時にこのギフテッドを「障害児」の言い換えにでもしようとしているかのような文脈に出会う。
「障害を才能に変える」なんていう謳い文句も見たことがある。
もしかすると、このサヴァン症候群とギフテッドが誤って混同されているのではないか。
いずれにせよ、ギフテッドは障害児の言い換えにはならない。
障害児の「隠れた才能」を闇雲に探すことよりも、元々ある特性と発達のペースに合わせて提供できることが何かを根気強く探っていくことが大切だ。