「みんな仲良く」の真意
「みんなで仲良く過ごしましょう」っていう標語。
ちょっとケンカすると「なんでもっと仲良くできないの!」と怒られたり。
学校標語の中でも反発の大きい「みんな仲良く」
「誰とでも仲良くなんてできるわけねぇじゃん!」
ごもっとも。
でも、履き違えなんですよね。
声高に叫ぶ教師ほど履き違えてる。
そしたら反発喰らうのは当たり前。
「仲良く」を「友好的に」って解釈するからズレるんです。
それはね、無理ってもんです。
相性っていうのは避け難くあって、その日の気分やちょっとした言葉の綾でのすれ違いなんかもあれば、いつでも誰とでも友好的に関わるなんて無理です。
まして、イジメを受けている被害者が加害者と友好的にできるかって言えば無理(むしろ、すべきでない)です。
本来、「みんな仲良く」っていうのは、「チームで取り組むべき(取り組む方がいい)ことには、協調していこう」って解釈されるべきです。殊更に友好的である必要はありません。
心情的(よく言う生理的ってヤツか)に好まない相手とペアやチームを組むことはあるけど、私情を挟みすぎず、それぞれ特性や性格を互いに理解し、尊重して進めなければコトはなせない。
その感性を磨くためにこそ「みんなで仲良く」と言うべきなんです。
「アイツ気に入らないんだよ」って言っていいんです。ウラで。仲良くなれない相手を好きになる必要はありません。
でも、「アイツ気に入らないからこの仕事やらねぇ」はダメなんです。そんなことがそこここで起きたら社会が回りません。
よりよい結果を出すために議論をするのも重要です。
しかし、「仲良く」を「友好的」と解釈してしまうと、白熱した議論は否定されかねない。
その後の協調のために必要な衝突はあっていいし、あるべきです。
むしろ、私情を排した議論を進めるためには、「仲良く」が邪魔にさえなります。
じゃあ、難しい言葉じゃ伝わらないこどもになんて言って「協調」を働きかけるか…
っていうと、他にいい表現は難しいです。
だから、「みんなで仲良く」はいいんです。
あとは、その解釈を大人が間違わずに伝えていくしかないんじゃないでしょうか。