SMILE make SMILES

ダイバーシティとユニバーサルデザインに興味あります。

特別支援学校とインクルーシブ教育

特別支援学校に医療的ケア児が多く在籍していることを、普段特別支援教育に携わらない方がどれだけご存知だろうか。

医療的ケアが必要な子どもの教育は、様々な分野の先人方の尽力で格段に向上したと言える。
従来医師と看護師、保護者しかできないと規定されていた多くのケアが、必要な研修を受ければ教諭も行えることになって、より多くの子どもが学校に通えるようになった。
それでも、まだなお高度な医療的ケアの場合は教諭が担えない。
その一つに、人工呼吸器がある。人工呼吸器の調整が教諭の担える医療的ケアとなっていないため、人工呼吸器を着けた子どもが学校に通う場合には、保護者の付き添いが必要となっている。

そんな中、新入学を控えた人工呼吸器の子どもの保護者から、次のような声が挙がった。
「特別支援学校に通わせても保護者付き添いになるのなら、地域の小学校に入学させたい」
しかも、複数件らしい。

この声を職員会議で教員に伝えた校長は、その保護者に対して特別支援学校に通う優位性を、学校や教員の持つ専門性から話していくというような話をした。

もったいない。
ネガティヴな事情とはいえ、医療的ケアの子どもが地域の小学校に通うことは、インクルージョンの一端になるではないか。

特別支援教育が、特殊教育から綿々と培ってきた専門性を否定するつもりはさらさらない。むしろ、インクルーシブ教育の構築に必ずや寄与するものとなるだろう。
だからこそ、特別支援学校は、障害のある子どもを引き受ける役割だけではなく、地域の学校へのアプローチを積極的に取ることで、障害があっても地域の学校に通える体制作りに寄与する役割も担っていかなければならないと考えている。

障壁があることは承知の上だ。
しかし、障壁は崩し、乗り越えるためにあるのではないか。

戦前から戦後にかけ、障害児教育に尽力した教育心理学者・三木安正氏は、その著書にこう記した。
「社会が進化して、学校もあらゆる個人差をもった児童を同時に教育できるようになれば、或いは特殊学校などは無用になるかもしれない」『私の精神薄弱者教育論』(1976)
この記述から40年、三木の言うように社会は進化しているだろうか?