SMILE make SMILES

ダイバーシティとユニバーサルデザインに興味あります。

soar night out!!!(2017/7/12)からの学び①

「人の持つ可能性が広がる瞬間を捉え、伝えていくプロジェクト」Soar(ソア)。
http://soar-world.com

そのイベント「soar night out!!!」(2017/7/12)に参加してきました。

今回のテーマは

「地域に安心できる居場所をつくる〜子どもも高齢者もその人らしくいられる場を〜」

ハイパー児童館ぷれいす設立を目指す私には真ん真ん中ストライクなテーマ。

お二人のゲストトークから得られた学びと気付きをまとめてみます。

今回は、お一人目のゲスト、鴻巣麻里香(こうのすまりか)さんのお話からの学びと気付きです。

鴻巣さんからは、KAKECOMI(https://www.kakecomi.org)という団体で取り組む「まかないこども食堂たべまな」のお話をいただきました。

「たべまな」は「こどもは手伝い、大人はカンパ」を掲げ、こどもに無料で食事と居場所を提供する活動。
Soarのインタビューでも取り上げられています。
http://soar-world.com/2016/10/27/tabemana/

今回のゲストトークでは、その活動内容、そこに至るまでの鴻巣さんの歩みなどのお話があり、どれもぷれいすを志す自分の胸に迫るものがありました。

中でも、鴻巣さんがたべまなの活動を進める上で心掛けている
「被援助者をつくらない」
という姿勢にとても共感しました。

対等な関係で、それぞれが場に貢献しあう環境。みんなが主役。みんながホスト。

私も、ハイパー児童館ぷれいすで「障害のあるなしに関わらない居場所」をつくるにあたっては、障害のある子とない子が対等に関わり合う環境をつくるがキモだと思っています。

そして、「裏メニュー」として必要な連携を提供していく。

「関係性の貧困の手当て」を目指す姿勢も見習いたいです。

「ないないづくし」でも、始めてみたらいろいろなことが回り出したというのが響きました。

始めてみないとな。

「LCC vs プロ障害者」から考える空のバリアフリー

もうすっかり議論が進んだこの問題を、何の影響力もない私めが今さら取り上げます。

どうまとめようか…と思っているうちにあれよあれよと論戦が進み、有益無益の様々な情報が流れ、すっかり迷いの境地にハマりこんでいました。

様々な情報の引用を貼ろうかとも思いましたが、とりあえずやめます。

私の個人的な結論です。

バニラ・エアは、奄美空港乗り入れの際、料金抑制の一環として沖留めという形態をとったなら、就航と同時にボーディングスロープを取り入れるべきだった。その不作為は合理的配慮に欠ける対応だった。今後の対応として早急にボーディングスロープ導入すべし。

木島氏との一件を受けて導入することとなったアシストストレッチャーはボーディングスロープに劣る対応です。ボーディングスロープ導入までの次善策としていただきたい。


今回のこの件での論戦で残念なのは、結局障害者と社会のカベが浮き彫りになって、弄ばれて終わっちゃったこと。

障害者 vs 健常者
障害者 vs 社会インフラ
障害者 vs 企業

そんな対立構造からは何も生まれない。

互いに認め合い、互いに自由が保証されるにはどうしたらいいか。本質的な合理的配慮とは何かということの議論が深められたらよかったのに。


今回、木島氏が事前連絡をしなかったことの是非を問う声もあった。

事前連絡をすることで門前払いを食わされるのは完全に合理的配慮の欠如であり、その点、今回のバニラ・エアが批判を受けるのは当然だ。

しかし、事前の連絡がないことで「連絡があればできる配慮ができない」ことまでが合理的配慮に欠ける対応と言えるのか。

「車イスの人は事前に連絡することなしに旅行もできないのか」という声も聞いたけど、してほしい配慮があるなら連絡するのが当たり前だと思う。

食物アレルギーのある人が会食やパーティーに参加する際には、除去食対応について事前に連絡する。
子連れで行っていいか迷う場所に出向く際には、可否や必要な対応について事前に連絡して相談する。
大人数でお店を利用する際には事前に連絡して必要ならば予約する。

だったら、下肢に障害がある人が、してほしい配慮や自身の障害について事前に連絡して依頼や相談することだって特別なことではない。

「健常者なら当たり前にできることが当たり前にできないことがハンディである」ことが事実だからこそ、そのハンディを周囲の配慮でどう解決し克服していけるかが今後ますます問われていくべきだろう。その際に事実の連絡や相談が必要なことが差別だとか合理的配慮に欠ける対応だという意見には首肯しかねる。

障害者が社会にへりくだる必要はない。だからこそ、当然の権利として求めるべき配慮を堂々と、でも可能な限り事前に求めていくべきだ。

とはいえ、ケース・バイ・ケースではあるんだけど。
だから難しいんだけど。

市場移転のニュースを見て

豊洲市場移転、小池百合子都知事が「築地は守る・豊洲を活かす」新計画を発表 築地再整備
http://www.huffingtonpost.jp/2017/06/20/tsukiji-yuriko_n_17218046.html

個人的見解でいうと、少し無駄に時間がかかったけど、落ち着くべきところに落ち着いたなという印象です。

今更になって築地の再整備(ましてや営業しながらの)なんて愚の骨頂だと思っていたので、都民としてこの決定を歓迎したいというところです。

初めて築地市場豊洲に移転すると聞いた時にはかなり疑問がありました。
豊洲は、地元(越中島という田舎臭い名の土地です)のすぐ南で、工場と倉庫と都営住宅と評判のよろしくない(あくまで当時の話です)土地柄で有名なエリアでした。
市場予定地がガス工場だったのも有名な話で、健全な土地でないことは明らかでした。

ただ、東京湾からそれほど離れず(水産品の取り扱いに重要)、交通の便も悪くなく、一定の面積を取れる場所で、かつ健全な土地など皆無に等しいのもまた事実です。

だったればこその築地再整備という議論が起こるべきだったし、実際そういう議論もあったはずです。

しかし、豊洲移転も、築地再整備も中途半端なまま、済し崩しで豊洲移転が進んでいきました。

もし、もっと早い段階で具体的な(期間、費用、整備中の安全確保etc)築地再整備案があれば議論に値しますが、そんなのあったんでしょうか?

その上、市場移転と関係あったのかは不明ですが、ここ数年で豊洲という土地のブランドが、それこそ180度変わっていきました。
工場や倉庫に変わってタワーマンションが林立し、セレブ感の漂う豊洲(今ではベンツのショールームまである)なんて、"あの頃"の豊洲を知る(しか知らない)私のような人間には想像もつきません。

本来、そういう土地のイメージは市場移転とは無関係ですが、かといって、イメージというものを無視するのもまた至難です。

石原猪瀬舛添の頃の土壌調査に誠実さの欠片もなかったことは残念極まりないし、それが今回の混乱を招いたのは明白なので、そこは糾弾されるべきです。また、土壌汚染対策が盛り土だったのに、いつの間にか別工法で施工されていたのも大変な問題です(「いつの間にか」というところが、という意味です)。

しかし、土壌の汚染が全くない土地を見つけることも、元よりある汚染をゼロにすることも限りなく不可能に近いことです(私は築地も含めてそうだと思っています)。

本質的に重要なのは、実際食品を扱う建物の中がきちんと管理されているかどうかです。
言い換えれば、土壌の汚染が影響しないようにできているかが本質的問題です。
そこを無視して、豊洲は危ない土地だと危惧して、ましてや市場移転を白紙に戻すなんてことはありえない議論だと私は思います。

小池都知事としては、本来自分の力ではどうにもならない部分にも果敢にメスを入れようとしたというところだと感じます。その過程や流れにはいささかの疑問がありつつも、現実的な結論に至ったことは歓迎したいと思います。

まあ、ご批判の向きもあろうかと思いますが、個人的な見解ですので、悪しからず。

終わりなき旅を行け!

終わりなき旅 Mr.Children
https://g.co/kgs/7HRvqL

車で「終わりなき旅」を熱唱しながら聴いていたら涙が浮かんできた。

「難しく考え出すと結局全てが嫌んなって
そっとそっと逃げ出したくなるけど」
今逃げ出したくなってる。
むしろやや逃げ出しはじめてる。

ボクのことだ。
難しく考えて答えが出せなくなって、逃げようとしている…

「高ければ高い壁の方が
登った時気持ちいいもんな」
高い壁は登るんだ。
逃げちゃダメだ。
応援してくれる人がいる。
賛同してくれる人がいる。
登れ。登るんだ。

ハイパー児童館ぷれいす、どうしても実現したい。
だからこそシンプルに考えないと。

シンプルに考えるってなんだろう。

でも、逃げたら終わり。

ボクは行く。終わりなき旅の先へ。

空前絶後の持続力

毎年毎年、テレビを賑わせる芸人たち。

苦節◯年、ようやくウケるネタにたどり着き、タイミングも合ってブレイクする彼ら、彼女らは、しかし、多くがいつの間にかテレビから消えていく。

ラジバンダリってなんだっけ?
ラッスンゴレライって覚えてます?
安心してください!とか、今やります?

盛者必衰。

しかし、今年ブレイクしているあの彼はちょっと違う。

サンシャイン池崎

絶叫自己紹介がウケているサンシャイン池崎は、近年ブレイクしては消えていく芸人とは一線を画しているところがある。

それは、ネタの持続力。

テレビで聞いた情報だと、ピン芸人になってから7〜8年は絶叫自己紹介をやっている。ず〜っと「空前絶後の〜!」とやっていたのだ。

確かに、このネタは随分前から知っていた。

ブレイクのきっかけは、もうご存知の通り、年越しの特番で、イケメンセクシー俳優の斎藤工がこのネタを完コピしたことで、そこだけ見ると他人のおかげで売れたように感じるけど、元を正せば、サンシャイン池崎がしつこく同じネタをやり続けていたからだ。

サンシャイン池崎は、きっとこの絶叫自己紹介に賭けていたんだと思う。ある意味覚悟を決めていたんだろう。
あるいは不器用なのかもしれない。愚直というか。

あの手この手で試していくのもやり方だろうけど、これ!と決めてやり通す持続力も時には花開く。

なんて、深く考えると、サンシャイン池崎のネタが愛おしくさえ映る。

鬱陶しいけど。

求ム!物件!

どうもMeet the Other! は暗礁に乗り上げたぞ、というエントリをしてから1カ月が経ちました。
違うな。暗礁に乗り上げるのは出航した船だけだから、「錨(イカリ)を上げられなかった」が正解ですね。
手を組めそうでフラれてしまったチームを応援できなくなった自分の小ささに辟易しつつ。

自分に仲間ができないのは、やはり行動がないからとしか思えないのです。
この間も、賛同の声を頂く機会があり、自分の想いは間違ってはいないという確信と、いつまでも形にできない不甲斐なさとに挟まれて呻いています。

そして、もう何度となく抱いた考えがまた今よぎっています。

「プロトタイプでいいから、ハイパー児童館ぷれいすを具体化したい」

バーチャルの世界では具体化できない性質のプランなので、ハコがどうしても必要です。

今イメージしているのは、カフェが併設されているフリースペース。
現段階では自分の生活や職責は犠牲にできないので、月何回か(もちろん理想は毎週)の土曜日。

広さでいうと
・空き店舗ならコンビニくらいのスペース
・空き家なら10畳くらいの一室

立地でいうと
・段差なしでアクセスできる
・子どもがいる

期間限定でもいいんです。半年くらいはほしいけど。
原状復帰はいくらでもします。

資金はありません。クラウドファンディングでまかなえたら嬉しいけど、きっと甘いよな。

プロトタイプで試してみたいのが、
・アートの活動
・ボッチャ交流
(こういう取り組みに「Meet the Other!」の名を使う)
・どうぞのいすとみんなのテーブルの設置
・形態対応のランチ(とディナー?)の提供

ハコにかかるキャッシュが分かれば、トータルの予算も組めるんじゃなかろうか(その結果諦めざるを得なければ仕方がない)。

あ!あの人に相談してみようかな。
う〜ん、でも、どうしようかな。

Meet the Other ! って…

2016年の目標として掲げながら、実現ならずにリベンジせんと改めて掲げたMeet the Other !

http://smilemakesmiles.hatenablog.com/entry/2015/12/16/184431

コンセプトを考え直したり、中身を練ってみたり、方々に声をかけたりしてみた。とあるチームと手を組んで進めていけそうな感じにもなった。

でも、何も進んでない。
コンセプトは固まらない。
中身は定まらない。
仲間は増えない。
手を組んでくれそうだったチームにもフラれた。

そもそも成し遂げたいのは、障害や得手不得手に関わらず、誰もがあるがままであたりまえに過ごせる居場所創り。

創ろうとしている居場所に「ハイパー児童館ぷれいす」という名も付けた。

ハイパー児童館ぷれいすを創る礎にするべく、イベントとして「あるがままであたりまえに」を体現する場を創ろうと思い立ったのがMeet the Other ! だった。

でも、何も進んでない。

根本的に間違ってるのかな?

自分に人徳も人望もないことはわかってるつもりだけど、もっと根本的に人間として不足しているのかな?

元々ない自信がさらに失われていくのを感じる。

お前にできっこない。

お前の出る幕ではない。

そういうことなのかな…